2.地元の時計屋さんの現状や昔話をきく
時計のバンドを替えたくて10年以上ぶりに訪問。
お店を継ぐ予定だった倅は「このまちでは稼げないから」と大阪で修行したのちに東京で所帯を持って大黒柱として日々はたらいている。
購入→アフターメンテナンスまでが商売だったけれど、いまは購入してくれるお客さんはなく、ほとんどが持っている時計の修理。
海外の時計を広めてくれたのは地元の時計屋さんの力が大きく、そのお店で修理もしていたが
日本市場の可能性に気づいたメーカーが直接進出。
修理や販売は完全にその管理下におくことになり、時計屋としての仕事や儲けは激減した。
もう自分も老人であと数年で目が見えにくくなり、手も震えてくるだろう。
そうなったら70年続いたこのお店も閉めるしかない。
そういえば、毎朝うるさいくらいお店の前を通っていた子どもたちの姿を
今では本当に見なくなってしまった。このまちはどうなってしまうのだろうか。
そういえばお会計してなかったね、500円です。
‥「そういう時代だから」というのはあまりにも簡単だけれど、「毎朝うるさいくらいお店の前を通っていた子どもたちのひとり」だった僕にとって
今日の話は家に帰ってからもボディブローのように効いた。
「跡取りがいない」というのはやっぱり寂しいし、切ない気持ちがする。